☆ー目次ー☆
「8時だよ、全員集合!!」
高木ブーの顔写真はある?☆
☆「8時だよ、全員集合」の収録風景(中央)いかりや長介さん、加藤茶さん、仲本工事さん、(左上)高木ブーさん、志村けんさん
TBS番組、お茶の間バラエティーとして毎週土曜日の晩の顔で楽しみでしたね。
- ”ザ・ドリフターズ、こぶ茶バンドのメンバー。体型を生かして笑いを取る場面以外では露出が少なかったため、何もしない、何もできない無能の代名詞として言われることが多かった。特技は居眠りで、どんな状況でも眠れる体質である。1964年、ピアリストの欠員補充として、ザ・ドリフターズに参加。”
高木ブーの年齢はいくつ?
- 出身地 ☆ 東京府東京市豊島区巣鴨(現・東京都豊島区巣鴨)
- 名前 ☆高木ブー、本名:高木友之介
- 生年月日 ☆ 1933年03月08日
- 年齢 ☆ 2023年8月現在 90歳
- 身長 ☆ 160m
- 星座 ☆ 魚座
高木ブーさん
『全員集合』の放送が終わったとき、高木さんは家族のことをふと想い返し。いままで、家族の時間を過ごす一緒にいる時間が少なく、「少しは家族の時間を取り戻そうと思い毎年、妻をハワイに連れて行ってあげよ」
荒井注さんは71歳(00年)で、いかりや長介さんは72歳(04年)で、いちばん年下だった志村けんさんは70歳(20年)で鬼籍に入ってしまった今、ドリフメンバーの最高齢となった高木さんだが、その快進撃は止まらない。娘のかおる(58)さんが、うれしく語りました。
ワンポイントアドバイス 鬼籍(きせき)とは:死者の名や死亡年月日などをしるす帳面。
ドリフのメンバーで、離婚も再婚もせず、1人の女性と添い遂げたのは、高木さんただ一人だ。
当時、子供こころを、掴んだ楽しい番組、週末土曜日を迎えるのを毎日ワクワクしていましたね。家族を支える高木ブーさんの優しさを番組を通しても感じましたわ☆
地道な努力を積み重ね家族想い、スキャンダルもなく、おごらず、地道にやってきた活動の経験が、いま大きく花開こうとしているのは、天の配剤といったところか。天国の妻も、58歳で逝ったときと変わらない姿で、夫の音楽を楽しんでいるに違いない。
高木ブーは人生で一番つらかった妻の死をどう乗り越えたのか
☆高木ブーは唯ードリフターズで、1人の女性と結婚して離婚も再婚もしてない。メンバーなんです。高木ブーさんのお相手は、1般人で、知人が主催したダンスパーティーで知り合ったそうです。
高木ブーさんが結婚したのは1962年2月1日に当時28歳で奥さんが25歳だそうです。
3歳年下の福本喜代子さんと結婚されています。
そして、2年後に[高木かおるさん]が、お生まれになりました。
高木ブーさんが無名の駆け出しの頃は、奥さんが洋裁の内職で家計を支えて高木ブーさんを助けてました。
ひとつだけ残念なのは、今ここに妻の喜代子さんがいないこと。29年前に58歳の若さで、病気でこの世を去ってしまった。住んでいるこの家も喜代子さんのために建てて、車椅子でも移動できる作りにしたのに、中に入ることはなかった。かおるの花嫁姿も見ていないし、コタロウも喜代子さんには会ったことがないんだよね。それが、こころ残りと語りました。
僕は今、娘夫婦と孫(コタロウ)の家族4人で暮らしている。ストレスとは無縁の幸せな毎日です。おかげさまでこの歳になっても仕事をやらせてもらっているし、何もない日は家でのんびり過ごしています。
高木ブー少年時代から音楽が好き
ウクレレとの出会い☆
僕はもともと東京生まれなんですけど、12歳だったとき、昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で家が焼けちゃったんですよ。それでおふくろの実家を頼って千葉県の柏という土地に引っ越したんです。柏は今と違ってド田舎でなんにもない町でした。そんな中、僕が中学3年生で15歳の誕生日に、すぐ上の兄貴がウクレレを買ってくれたんです。あとになって聞いたんだけど、兄貴もハワイアンが大好きだったんですね。灰田勝彦さんの追っかけみたいなことをやってたそうなんです。それが僕がウクレレをやるようになったきっかけでした。
そもそも、兄貴がウクレレを僕に買ってくれなかったら音楽の世界にも入ってなかっただろうし、バンドも作らなかっただろうし、ドリフにも入らなかっただろうし。きっと
普通にサラリーマンやってたと思います。だから、ウクレレは僕の原点ですね。
ドリフターズにスカウトをされたキッカケ
「ジェ二ー藤尾とパップ・コーンズ」を脱退し、新たに結成したエレキバンド「ロジェ滋野とシャドーズ」(当時、高木さんはギターを担当)で高木さんたちは、イギリスのエレキバンド「シャドウズ」を真似て、全員、赤い楽器を持ち、黒と黄色の衣装を着て、演奏しながらステップを踏む、というスタイルを取り入れるなど、ヴィジュアルにこだわったそうです。活動していた高木さんですが、
1964年東京オリンピックが開催された(昭和39年)8月の終わり頃、横浜のジャズ喫茶「ピーナッツ」での深夜の演奏が終わった後、「碇矢長一とザ・ドリフターズ」のリーダーだった、いかりや長介さんに、「ちょっといいかな」と声をかけられ、いかりやさんと桜井輝夫さん(当時はオーナー的存在)に「東京まで送るよ」と言われて、桜井さんの車に乗せられると、その車の中でスカウトされ、「碇矢長一とザ・ドリフターズ」に移籍したそうです。
(当時のバンドの世界では引き抜きが当たり前だったため、高木さんは、2人に声をかけられた時、なんとなく、何の話か察しがついていたそうです)
ドリフターズにメンバーとして加入したのは1963年9月16日です。ギター担当の欠員ができたところ、当時の3代目リーダー・いかりや長介さんが声を掛けてくれました。(↑実際は1964年9月16日)
より給料のいいところ、条件のいいところへと、バンドを移籍するのは珍しくない話でした。まだ生まれて間もない娘さん(かおる)がいたので、長さんから「お宅は母乳ですか?」と聞かれ、「うちはミルクで、結構ミルク代がかかるんです」と、給料のベースアップを暗に希望する私の真意が通じてか、当時5000円アップでの移籍となりました。当時としてはかなりの高級取りです。と、語っています。当時の1964年の5000円価値は相当な高額ですね。
☆いかりや長介さんとの出会いが高木ブーさんがお茶の間の大衆に多くの人に認知したのは、間違いないですわね。
高木ブーのドリフターズ雷様
ザ・ドリフターズは、「8時だョ!全員集合」のテレビ番組で活躍し、子どもから大人まで幅広い層に人気を集めました。番組内でのコントや歌、さまざまな企画が視聴者から愛されました。高木ブーさんは、その中で独自のキャラクターを確立し、彼のギャグやフレーズは多くの人々に記憶されています。
雷様は、ドリフターズ番組の顔のひとつでした。中心的なコンテンツで、お茶の間の前の視聴者を楽しませていました。
高木ブー死亡説?
2012年5月には救急車で東京都内の病院に緊急搬送されるなど、健康状態は決して万全ではないようです。気分が悪くなり、持病で抱えている膝痛の悪化もあり、自宅から病院に搬送された高木ブー。幸いにも大事は至らなかったようで、翌日には退院し、自宅で療養となりました。
2017年、当時84歳、高木ブーさんは、自動車免許証を自主返納しています。
東京・世田谷区で行われた警視庁の交通安全イベントにゲストとして登場し、小池都知事に免許証をかたどったパネルを手渡しました。本物の免許証は28日、警視庁に自主返納したということです。去年、都内で起きた交通事故のうち2割が高齢者が運転する車によるものでした。警視庁は、高齢者に対して免許の自主返納を勧めています。
高木ブー病気、車椅子で生活
2022年時点で、病気や車椅子で歩けないという噂や死亡説まで流れることがあります。
自宅では身体の影響を考えて車椅子での生活をしているようです。
いちばん嬉しかったのは、やっぱり雷様ができたこと。仲本(工事)がいなくなって、雷様は僕ひとりになっちゃった。いよいよおしまいかなと思ったけど、加藤が「俺も手伝うから」って青い雷様になってくれた。
ネットには番組の感想がたくさん書き込まれてるみたいだね。ある人が「ドリフターズのコントは笑いの文化遺産だっていうコメントがありましたよ」と教えてくれた。そう言ってもらえて、長さんや志村や仲本もきっと喜んでる。「ドリフに大挑戦」のような番組を通して、やる側にも見る側にも、コントの面白さが伝わっていってほしいな。
ふっくらとした白い肌に穏やかな声。杖こそついているものの(現在90歳)、奥さんとの人生を大切にして、高木さんは、視聴率50%超えの伝説のオバケ番組『8時だョ!全員集合』(TBS系)以来おなじみの温かさでほほ笑んだわ。